倶楽部創設の中心人物、廣岡久右衛門氏は茨木の地を 初めて見たときの印象を次のように記している。
「大正十二年二月末に加賀正太郎、進藤嘉三郎両君を当時曽根崎町に在った私の方の修竹館に招待して午餐を共にした後、プロの福井覚治を連れて茨木へ出掛け、(略)候補地現場を踏査したのであります。
当時は現在のように自動車がなかったので、茨木駅から徒歩で女学校前を通って真直ぐに春日神社前に出で、左折して村道の左側の田圃の中に灌漑用の池を見ながら現在の十三番グリーンの所に出で、其処から更に左折して現在の自動車道を歩いて右側に山田を見ながら十八番駒ヶ池の堤防に上り、其処で疲れた足を休めたのでありますが、其時池越しに現在のクラブハウスの方面を眺めた時の夕景が何とも言へぬ景色で一同其の美観に打たれてしまったのであります。
尚それから奥地を踏査する筈でありましたが、何分日没に近かったのと其時皆の受けた印象があまりによかったので、奥地を見るまでもなく立派な候補地といふことに決めてしまって、帰路についたのであります。帰る途中福井が口を極めて此の場所を誉めてゐたことを今尚記憶してゐるのであります。」
―――倶楽部十周年記念誌「創設時代の思出」より
茨木カンツリー倶楽部百年の歴史は、
彼らがみたこの夕景から始まったと言っても過言ではない。
――― 百周年を迎える茨木カンツリー倶楽部ですが、他のクラブにはない良いところはどのあたりにあると思われますか?
キャプテン「ご承知のように、当倶楽部は趣の異なる二つのコース、36ホールを有します。東はスコットランドのプロ、ダビッド・フードが設計し1925年に完成しました。その後イングランドの設計家、C・H・アリソンが改修した戦略性に富んだクラシックな雰囲気の漂うコースです。一方、西コースは井上誠一が設計し1961年にオープン、さらに2011年にアメリカのリース・ジョーンズが改修しました。こちらはアスリートからアベレージゴルファーまでそれぞれのプレーヤーの技量に応じた攻略ルートを楽しむことができます。東コースでは過去3回、西コースでは過去2回、日本オープンゴルフ選手権が開催されました。2023年、倶楽部設立百周年の年に、倶楽部としては実に6回目、西コースだけでも3回目の日本オープンが開催されます。このように、チャンピオンを争うにふさわしいコースだと言えると思います。
百年前、設立当時のメンバーが大阪から鉄道で通えるようにこの地を選んだのですが、現在では関西近郊の方だけでなく、新幹線でも飛行機でも、東京や九州からも日帰りでも来ていただける、他にはない立地だと思います。」
――― 倶楽部ライフについてはいかがでしょう?
キャプテン「当倶楽部には理念三則というポリシーがあります。三則では、品格のある正当なゴルフの追求、豊かな倶楽部ライフの実現、歴史と伝統を尊重し倶楽部を維持、発展させるということをうたっています。このため、プレーを楽しむだけではなく、プレー後はバー(倶楽部では「酒場」と言います)で語り合いお付き合いを深めるというスタイルが定着しています。そういう中身の濃さがあります。百年前、スタートした際に土地組合に出資された方々は、倶楽部にその土地を寄付された際に何も代償を求めなかった、そんな歴史が今のフェローシップにつながっているのではないかと思っています。」
――― 最後に、倶楽部の百周年については、どのような感想をお持ちでしょうか?
キャプテン「百年前の黎明期はゴルフをするのはほんのひと握りの人たちでした。その後、日本のゴルフも大きな発展を遂げて今に至るわけですから、倶楽部の先人たちには先見の明があったと思います。その伝統を受け継いで、今後もやっていかなければなりません。ただ、最近は少子化の影響もありゴルフ人口が減り、ゴルフのスタイルも変わってきました。よりカジュアルに、ファミリーで楽しめるスポーツになっていくのではとも思います。また、昨今の環境問題から考えても、自然を大事にするとともに地域社会に密着し公益性を高めることにも力を入れなければなりません。それらのことを見極めて、今後はこういう倶楽部になっていくのだという方向性を考えていきたいと思っています。」
茨木カンツリー倶楽部の創立100周年を心からお祝い申しあげます。
広岡久右衛門正直(大同生命第3代社長)ら若手経済人の熱い想いにより誕生した当倶楽部は、経済界をはじめゴルフを愛する様々な人々の交流の場として発展し、日本における歴史と伝統を誇るゴルフ場としての地位を揺るぎないものとされています。
今日があるのも、先達が創立当時からの伝統をしっかりと守りつつ、時代に応じた変革を続けてこられたからに他ならず、深く感謝と敬意を表します。
次の100年に向けて、ゴルフを通じて人々の身心の健康を増進し、地域の自然環境の保全に寄与するとともに、社員交流の輪が一層広がり発展する倶楽部であり続けることを心より願います。
広岡久右衛門正直(大同生命第3代社長)ら若手経済人の熱い想いにより誕生した当倶楽部は、経済界をはじめゴルフを愛する様々な人々の交流の場として発展し、日本における歴史と伝統を誇るゴルフ場としての地位を揺るぎないものとされています。
今日があるのも、先達が創立当時からの伝統をしっかりと守りつつ、時代に応じた変革を続けてこられたからに他ならず、深く感謝と敬意を表します。
次の100年に向けて、ゴルフを通じて人々の身心の健康を増進し、地域の自然環境の保全に寄与するとともに、社員交流の輪が一層広がり発展する倶楽部であり続けることを心より願います。
倶楽部創立100周年おめでとうございます。
関西、そして日本を代表するコースとして、ゴルフ界の発展に大きく寄与されてきたことに心より感謝と敬意を表します。
負けて一番悔しかった大会の一つである1973年の茨木の日本オープンからもう50年経つのですね。
あの負けが自分の中でも大きな転換点となり、その後のプロゴルファー人生に繋がりました。
実はコースを改修されてからまだプレーしていないんです。
だから、きっとコースの印象もガラッと変わっていると思います。
2023年の日本オープンで見させてもらえるのを楽しみにしています。
これからも倶楽部としての伝統を守りつつ、ゴルファーを育てる、チャレンジしがいのあるゴルフコースであり続けて欲しいと思います。
関西、そして日本を代表するコースとして、ゴルフ界の発展に大きく寄与されてきたことに心より感謝と敬意を表します。
負けて一番悔しかった大会の一つである1973年の茨木の日本オープンからもう50年経つのですね。
あの負けが自分の中でも大きな転換点となり、その後のプロゴルファー人生に繋がりました。
実はコースを改修されてからまだプレーしていないんです。
だから、きっとコースの印象もガラッと変わっていると思います。
2023年の日本オープンで見させてもらえるのを楽しみにしています。
これからも倶楽部としての伝統を守りつつ、ゴルファーを育てる、チャレンジしがいのあるゴルフコースであり続けて欲しいと思います。
茨木カンツリー俱楽部の100周年を心からお祝い申し上げます。
私は入社してまだ4年しか経っておらず、茨木の100年を語るには到底早すぎるのですが、理念「三則」を胸に、日々精進を重ねているところです。
ただ、精進する場所はもっぱら19番ホール「酒場」でありまして、ここでゴルフの後に気の置けない仲間と過ごす時間は至福の時であります。
コースのみならず俱楽部ライフも100年を通して創り上げられたものであり、諸先輩方に感謝しかございません。
100周年を迎える2023年には日本オープンゴルフ選手権が開催されます。
そして、次の100年が始まります。
社員の一人として、先輩や仲間の皆さん、従業員の皆さん、そして地域社会の皆さんと共にこれからも歩んで参りたいと思います。
この度は誠におめでとうございます。
私は入社してまだ4年しか経っておらず、茨木の100年を語るには到底早すぎるのですが、理念「三則」を胸に、日々精進を重ねているところです。
ただ、精進する場所はもっぱら19番ホール「酒場」でありまして、ここでゴルフの後に気の置けない仲間と過ごす時間は至福の時であります。
コースのみならず俱楽部ライフも100年を通して創り上げられたものであり、諸先輩方に感謝しかございません。
100周年を迎える2023年には日本オープンゴルフ選手権が開催されます。
そして、次の100年が始まります。
社員の一人として、先輩や仲間の皆さん、従業員の皆さん、そして地域社会の皆さんと共にこれからも歩んで参りたいと思います。
この度は誠におめでとうございます。
倶楽部百周年を迎えられ、日本オープンの開催おめでとうございます。
1999年からNHKの解説をさせてもらっています。毎回手に汗握る展開が見られ、ホールアウトするまで異常な緊張感に包まれます。日本オープンはラフの芝を長く、固く転がりのいいグリーン設定にし、選手の技術、精神力の強さが求められます。これも開催されるコースを何年も前から準備、整備してくれるキーパー、コース関係者やメンバーの理解、熱い気持ちが素晴らしい場所を作ってくれるからです。東京GC18番 尾崎選手のパット、小樽CC ジョーのしぶといプレー、狭山GC 松山選手の上手さ、稲森選手の曲がらないドライバー、三甲GC 蝉川選手の若さ溢れるプレーなど各大会味のあるプレーを見てきました。今回の茨木カンツリー倶楽部、多少の起伏がありラフも伸ばしますので、やはりティーショットが明暗を分けると思います。
また歴史に残る様な素晴らしい大会になるよう願っています。
写真提供:PGA
1999年からNHKの解説をさせてもらっています。毎回手に汗握る展開が見られ、ホールアウトするまで異常な緊張感に包まれます。日本オープンはラフの芝を長く、固く転がりのいいグリーン設定にし、選手の技術、精神力の強さが求められます。これも開催されるコースを何年も前から準備、整備してくれるキーパー、コース関係者やメンバーの理解、熱い気持ちが素晴らしい場所を作ってくれるからです。東京GC18番 尾崎選手のパット、小樽CC ジョーのしぶといプレー、狭山GC 松山選手の上手さ、稲森選手の曲がらないドライバー、三甲GC 蝉川選手の若さ溢れるプレーなど各大会味のあるプレーを見てきました。今回の茨木カンツリー倶楽部、多少の起伏がありラフも伸ばしますので、やはりティーショットが明暗を分けると思います。
また歴史に残る様な素晴らしい大会になるよう願っています。
写真提供:PGA
100周年を迎える記念すべき年に、社員でいることに感謝しています。
サントリーの創業者鳥井信治郎が、茨木からもほど近い山崎の地でウイスキー蒸溜所の建設に着手したのが1923年。倶楽部創立とウイスキーへの挑戦が始まった年が奇しくも同じということに、大きなご縁を感じております。
山崎蒸溜所の着工から100年を迎えるにあたり、サントリーでは「100年はまだプロローグ」という言葉を胸に、初心を忘れずやってみなはれの精神で、次の100年へ向けたウイスキー作りを目指そうと考えています。
倶楽部の一社員として、初心を忘れず感謝の気持ちを持って、19番での適正飲酒を守り、次の100年の倶楽部ライフのために、少しでも貢献して参ります。
100周年、誠におめでとうございます。
サントリーの創業者鳥井信治郎が、茨木からもほど近い山崎の地でウイスキー蒸溜所の建設に着手したのが1923年。倶楽部創立とウイスキーへの挑戦が始まった年が奇しくも同じということに、大きなご縁を感じております。
山崎蒸溜所の着工から100年を迎えるにあたり、サントリーでは「100年はまだプロローグ」という言葉を胸に、初心を忘れずやってみなはれの精神で、次の100年へ向けたウイスキー作りを目指そうと考えています。
倶楽部の一社員として、初心を忘れず感謝の気持ちを持って、19番での適正飲酒を守り、次の100年の倶楽部ライフのために、少しでも貢献して参ります。
100周年、誠におめでとうございます。
倶楽部百周年、おめでとうございます。
父 木本三次は、家業が土木業ということもあり、茨木CCの土木工事に携わり、仕事の合間にゴルフを覚え、茨木CCの所属プロとなり、後に関西プロゴルフ協会の会長を務めさせていただきました。父の背中を追う形で、私も長年倶楽部のお世話になりました。ふり返りますと、私ども父子で70年以上も倶楽部のお世話になったことになります。
この記念すべき百周年に立ち会えたことは、所属プロとして幸せだと感じております。
周年行事である日本オープンが無事開催され、また新たなる茨木CCの歴史を築いていかれることを祈念致します。
最後に、この茨木CCから世界で活躍するようなプロゴルファーが誕生することを心から願い、お祝いの言葉と致します。
父 木本三次は、家業が土木業ということもあり、茨木CCの土木工事に携わり、仕事の合間にゴルフを覚え、茨木CCの所属プロとなり、後に関西プロゴルフ協会の会長を務めさせていただきました。父の背中を追う形で、私も長年倶楽部のお世話になりました。ふり返りますと、私ども父子で70年以上も倶楽部のお世話になったことになります。
この記念すべき百周年に立ち会えたことは、所属プロとして幸せだと感じております。
周年行事である日本オープンが無事開催され、また新たなる茨木CCの歴史を築いていかれることを祈念致します。
最後に、この茨木CCから世界で活躍するようなプロゴルファーが誕生することを心から願い、お祝いの言葉と致します。
茨木カンツリー倶楽部創立100周年、心から御祝い申し上げます。
このたび、この歴史的な節目に記念写真集というその姿を遺す大切な役目をいただきましたこと、大変嬉しく、興奮しております。
ゴルフの歴史を辿れば辿るほど、茨木カンツリー倶楽部の成り立ちにとても興味を覚え、ここにゴルフ場を作った先人たちへ想いを馳せました。また大都会、大阪の街に100年変わらず同じ場所にゴルフ場があったことは世界的に見ても稀有なこと。撮影に訪れるたび四季の移ろいを愉しめ、都会にも関わらず多くの野鳥たちに心癒されました。これからもこの場に脈々と流れる空気をそのままに、次の100年に向け歩んでいただきたいと強く願う次第です。
このたび、この歴史的な節目に記念写真集というその姿を遺す大切な役目をいただきましたこと、大変嬉しく、興奮しております。
ゴルフの歴史を辿れば辿るほど、茨木カンツリー倶楽部の成り立ちにとても興味を覚え、ここにゴルフ場を作った先人たちへ想いを馳せました。また大都会、大阪の街に100年変わらず同じ場所にゴルフ場があったことは世界的に見ても稀有なこと。撮影に訪れるたび四季の移ろいを愉しめ、都会にも関わらず多くの野鳥たちに心癒されました。これからもこの場に脈々と流れる空気をそのままに、次の100年に向け歩んでいただきたいと強く願う次第です。
茨木カンツリー俱楽部の創立百周年、心よりお慶び申し上げます。
我が家と倶楽部とのお付き合いも長く、1925年頃に入会したらしい祖父齋次郎、以来、父俊一、そして私と三代にわたり、かれこれ97年近くのお付き合いになります。祖父齋次郎は1932年、1934年にキャプテン杯に優勝する等、ハンディキャップ8までになりましたが、私はハンディキャップ30台と低迷し、土曜日ゴルファーとして、いつも素晴らしいコース環境で楽しくプレーをさせていただいております。
弊社も昨年(2022年)創業百周年を迎えました。創業時の苦労や、企業を育てていただいた諸先輩の努力を見直す良い機会を得ることが出来たと考えております。
倶楽部の益々のご発展をお祈りいたします。
我が家と倶楽部とのお付き合いも長く、1925年頃に入会したらしい祖父齋次郎、以来、父俊一、そして私と三代にわたり、かれこれ97年近くのお付き合いになります。祖父齋次郎は1932年、1934年にキャプテン杯に優勝する等、ハンディキャップ8までになりましたが、私はハンディキャップ30台と低迷し、土曜日ゴルファーとして、いつも素晴らしいコース環境で楽しくプレーをさせていただいております。
弊社も昨年(2022年)創業百周年を迎えました。創業時の苦労や、企業を育てていただいた諸先輩の努力を見直す良い機会を得ることが出来たと考えております。
倶楽部の益々のご発展をお祈りいたします。
- 倶楽部の創設者たちが選んだのは現在のJR茨木駅北西に広がっていた丘陵地。当時の地形図を見ると、南向きの斜面に灌漑用の池、樹林、田、荒れ地が混在している。適度な傾斜、池の存在、都心から近いことなど、ゴルフ場建設の好適地であった。
- 倶楽部はスコットランド出身のプロ、ダビッド・フード氏にコース設計を委嘱。1925年には、18ホールが完成。現存する18ホールのコースの中では、日本で二番目に完成した。このときのルーティングが原則的に維持されていることも東コースの価値を高めている。
- 「もっとよいコースにしたい」というメンバーたちの熱意は開場後も醒めることはない。コースを改造し、距離を伸ばしてパー72とした。1929、30年と日本オープンがこのコースで開催され、宮本留吉プロが連勝した。
- 大きな転換点となったのが、イングランド出身の設計家C.H.アリソン氏による改造である。1931年、アリソン氏は倶楽部の依頼に応えて、10ほどのポイントについて改造を提案、グリーンについても詳細な図面を残した。このときの改造によって、東コースのベースが固まった。
- 時を経て、西コース18ホールが井上誠一氏の設計で新設された。このとき、東コースの改造も井上氏に委ねられた。井上氏は30年前、来日中のアリソン氏と出会ったことから、コース設計家の道を歩むことになったという縁を持つ。東コースの改造にあたっても、アリソン氏への想いが胸をよぎったことであろう。
- このように、フード氏によるルーティング、アリソン氏、井上誠一氏という日本のゴルフ史に欠かせない二人の手による改造、そして100年という熟成のときを経て東コースは現在の佇まいを見せている。
- 1923年(大正12年)
- 1925年(大正14年)
- 1929年(昭和4年)
- 1931年(昭和6年)
- 1961年(昭和36年)
- 現在
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