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倶楽部について

倶楽部の歴史

「こうあるべき」を、どこまでも重ねて。「こうあるべき」を、どこまでも重ねて。

ふたりの青年実業家が、大阪初のゴルフ倶楽部の設立を思い立ったとき、阪神間では、まだゴルファーが50人にも満たなかった。そんな時代にあえて掲げた、「国際競技を行えるチャンピオンコース」という、一見無謀とも思える高い理想。彼方を見据えて、乗り越えて、前進して。先達が礎を築き、それを受け継ぐ者たちが挑みつづけてきた歴史は、まるでゴルフというスポーツの精神そのものを表しているようである。ふたりの青年実業家が、大阪初のゴルフ倶楽部の設立を思い立ったとき、阪神間では、まだゴルファーが50人にも満たなかった。そんな時代にあえて掲げた、「国際競技を行えるチャンピオンコース」という、一見無謀とも思える高い理想。彼方を見据えて、乗り越えて、前進して。先達が礎を築き、それを受け継ぐ者たちが挑みつづけてきた歴史は、まるでゴルフというスポーツの精神そのものを表しているようである。

1922年
(大正11年)
3月
「大阪に初のゴルフ場を」と広岡久右衛門、加賀正太郎の両氏が中心となり、大阪倶楽部(中央区・今橋)の若手実業家たちによって建設計画が進められる。

広岡久右衛門氏

加賀正太郎氏

1923年
(大正12年)
12月
「社団法人茨木カンツリー倶楽部」として設立認可。
初代理事長 湯川寛吉氏(住友本社総理事)
1924年
(大正13年)
1月
スコットランド出身のプロゴルファー、ダビッド・フード氏の設計でコース建設工事を開始。

ダビッド・フード氏
略歴略歴

1925年
(大正14年)
5月
倶楽部専属プロに宮本留吉プロを起用。のち、宮本は日本オープン優勝6回の偉業を達成。戦前並ぶ者のないプロゴルファーとなる。

宮本留吉プロ

1926年
(大正15年)
1月
朝香宮、同妃殿下がご来場。つづいて宮さま方が次々来場される。
1926年
(大正15年)
7月
第1回「関西プロフェッショナル争覇戦」開催。翌年から「日本プロ選手権」と改称される。同年11月には「関西オープン選手権」も開催。

第1回関西プロに出場した6選手
(左から、宮本、関、村上、福井、安田、 越道の各プロ)

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